止観|結婚占い転職占い


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近代社会は、統計主義と確率主義が主力の統制社会かもしれません。 歴史的には平均や統計を運用したのはナポレオンの時代からみたいです。
異常値を見付け修正する、官僚的思考の始まりでしょうか・・。 それから歴史が経過し、数値も積み重ね、より精度の高い平均値の計算方法もが見出され、異常値の吸収が可能となり統計的には精査されたと言えるでしょう。
そして我々も学習により同じ思考にあると言えます。
単純な例で言えば、サイコロの『1』の出る確率は6分の1(1/6)ですが、実際六回振っても『1』はでない場合もある、でも確率は1/6だと言える、そんな事象と推論の中にいると言え、理屈は正しいけど確率が実際は起きない事もあると想定しています。
また統計でも、『偶然』の如くの異常値を外したり、変数にしたりしながら、平均値を算定し「正常」と「異常」の世界に慣れたといえます。 それは想定内と想定外の感性とも言えます。
しかしながら、100年に一度の災害と言われ『仕訳』で削減されたら、100年に一度が起きた今、これを偶然として片付けるのでしょうか? そもそも、統計や確率は自然を対象となるのでしょうか?
そんな疑問から考える時期なのでしょうね。

うちに来る方の多くは、他の処でのカウンセリングの経験があったり、セミナーの経験がある方が多いです。 そしてどうすれば更に瞑想を出来るかの質問を受けますが、瞑想に限らず重要な事は、「止観」です。
生きる意味でも、人生をより良くする為にも、止観の習得は必要です。
「止」とは、悪いものを止めるの意味ではなく、入る隙間のない様に良い事を継続的に行うの解釈が良いです。 当然「制御」「抑制」の意識もありますが、悪きものが起こらないほど良い事を行なう・・が生きる意味では良いです。
但し瞑想の場合、雑念を抑制するですが、止めようとすれば更に雑念が発生する、故に何か一点に集中するの解釈が正しいでしょう。
「観」とは、まさに観察を表すます。 自分の観察でもあり、周りの事象の観察でもあります、実際自分の体でさえ動きを観察した事はないです。 まして心の動きなどは冷静に観た事はないと言えます。
また周りも固定概念、思い込みなく観れている事はなく、全て自分の関わらないと思って見詰ないと理解出来ないものです。
瞑想での「観」は、観えたものを如何に観察し思えるかです。 観える物全て何かを表しているのですから、言葉だけを聴いてはいけません。
何故なら、人は自分の都合の良いようにしか聞けないからです。
現代において、この「観」が習得できないと長生きが苦しいだけの事となります。 瞑想は、自分の将来や聞きたい事をl聴く場ではありません、次に生きる確信を得るものです。

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