施し|結婚占い東京|恋愛結婚相談


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コラム
施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。
But when you give to the needy, do not let your left hand know what your right hand is doing, マタイ6:3
有名な言葉です、人は兎角他人を意識し善人ぶることが多く、作為的に施しをしても意味はなく、隠れたところでなされる施しは神は見逃さない。
このマタイを時に思い出します、その時同時に思い出されるのが、
「清められるためのひとつの方法。神に祈ること。それも人に知られぬようにひそかに祈るというだけでなく、神は存在しないのだと考えて祈ること」
最近、シモーヌ・ヴェイユを一生懸命再読していますが、何歳になっても難しい、既に彼女の2倍近く頭使っているのに、時に己のリテラシーに唖然とする。
そもそも断片的な本だし、理路整然を好んでいないし、思いつくままを書いただけに更に混乱する。
「名前は同じであるが、根本的に別々のものである、ふたつの善がある。悪の反対のものとしての善と、絶対的なものとしての善と。 絶対的なものには、反対のものはない。 相対的なものは、絶対的なものの反対ではない。それは、絶対的なものから出てきたのではあるが、この関係は逆にはできない。私たちが望んでいるのは、絶対的な善である。 私たちにたどりつくことができるのは、悪と相対関係にある善である」
でも、言わんとすることは分かる、分かるとなんと薄まった己の人生、本来持っていた濃厚さを時間で薄めた。
余りに難解で、ドラマの「吉原裏同心」を観た、 おぉ~小出恵介君だ、どうしても真澄ちゃん役が好きだ、野々すみ花さんも出ている、やはり綺麗だ、彼女はショートカットの髪型がトレードマーク、花魁姿が別人のように艶やか。
あの舞台の姿を思い出し、DVDを探せねば。
思えば約50人も出演しているのに、舞台でも人は好きな人のみ追い続ける、まさに誰かを中心に思い出している・・。
「人間のあいだでは、自分の愛している人たちの存在だけしか、完全には目にはつかない。他の人たちがそのままで存在しているのを信じることが、愛である」

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