慰め


「愛は忍耐強い。愛は情け深い。ねたまない。愛は自慢せず、高ぶらない。
礼を失せず、自分の利益を求めず、いらだたず、恨みを抱かない。
不義を喜ばず、真実を喜ぶ。
すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、すべてに耐える。」
(第一コリント 13:4-7)

「心の貧しい人は幸いである、天国はその人たちのものである。
悲しむ人は幸いである、その人たちは慰められる。」
(マタイによる福音書 5章 3~4節)

分かっていても、とり越し苦労が現代人、何故か目の前のことに集中できないのです、まあ私もですが。
故に恋愛も同じ、スタンダール的に言えば「結晶作用」の相手の身振りや表情、さりげないしぐさ、発する言葉、視線、それらの一つひとつが美しく魅了されていくことに気付く、その一粒毎が集まって恋愛の結晶作用となり、今だけが大切だと分かる時なのですが、その様な美しい至宝の経験を求めないと悔やみます。
将来ばかりでなく、愛をより深く味わうことで、美しいものとは何かを知り、自分の存在理由を初めて知り得る機会の可能性を失ってはいけません。 美しいものとは何か? 実際は自分の内実した要素の象徴であり、理屈や法則でなく美しいと思うのです。

大体自分が好きかどうか真剣に考える前に、相手が自分を好きでいるかのみ気にして嫌いになっていく症候群というのでしょうか、多いです。
自分を知る、自分に問い掛ける能力が減退したとも思いませんが、孤独を恐れるあまり異常なまでに他者情報摂取かもしれませんというか、そんな気がします。
独善と言う言葉の解釈は時代を表します、本来独善は漢字の通り自分のを正しくしていく意味だったのが、他人を気にせず自分だけが正しいになり、まだ自分がありましたが、「周りが正しいと言っている、だから自分は正しい」的思考が多い感じです。
他人承認ばかりで自分承認でもなく、相互承認でもない、どこにも自分がいない、自分に聞けないから気付ない、貴女が気にしている貴女を見ている視線は実は貴女なのですが。
「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたを支えてくださる。主は従うものを支え、とこしえに動揺しないように計ってくださる。」  (詩篇55篇23節)
「だから、明日のことまで思い悩むな。明日のことは明日自らが思い悩む。その日の労苦は、その日だけで十分である。」 (マタイ6章34節)

本04

人との関係は時代と共に変化しているのは誰でも承知。
マルクス的には、金銭や物品の介在により、物への依存関係が深まり、更に人は自由なり、自由が増えた分孤独を増す時代です。
ほど、孤独を恐れる傾向にあり、自由の二面性が顕著に出てくる。
自由がもたらす二面性は、近代の社会構造と企業組織では、一方で個人を発展させ自由を増大させたが、もう一方では、人を更に無気力や無力なものにし、新しい依存関係をを生みだした。
また、自由の二面性は、近代社会の機構において、人をよりいっそう独立的、自律的にさせはしたが、もう一方では、人をよりさらに孤立し孤独を恐怖するものにしたと言えます。
現代において言えば、日本人に限らず自由からの回避で(恐怖から逃れる)共同体として会社組織を選択し、また会社がそれを利用した競争理論を植え付け今日に至っていると思います。
そのような思考は、愛も自由でありそうで、自由ではなく、でもなんでも自由が怖く規制して限定しいるのですが、フロムの下記の部分が大好きです。
愛は、「ある対象」を肯定しようとする情熱的な欲求である。
愛は「好む」ということではなく、その対象の「幸福」「成長」「自由」を目指す積極的な追求であり、内面的な繋がりである。
エーリッヒ・フロムの『自由からの逃走』

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