純粋に愛することは


a264

シモーヌ・ヴェイユ
「純粋さとは、汚れをじっと見つめ得る力である」
「神を否定する人の方が、おそらくは神により近い」
産業革命と当時に啓蒙主義は沸き起こりました。
啓蒙主義とは、人間は等しく生きる権利と理性を持っており、自己で判断し決断できるです、現在も生きている思想です。
簡単に言えば、人は宗教から解放され、世界は人が支配するに意識の上でなったのです、そこでカントが有名な理性批判で、啓蒙主義を導きながら理性に道徳的意味合いを持たせる為に、理性認識を超えるものがあるとして神の世界を要請したのです。
この後構造主義やいろいろあるのですが、人は自由で理性的で主体性を持った生き物なのでしょうか??スピリチュアル的にも誤解を招く点です。
三位一体の「魂」「意識」「身体」のうち、皆さんがいつも使っているのは「意識」です、それは生まれてから経験したり学んだりの蓄積であって,外の影響下に置かれています、フロイトが言った如く、「意識」での主体性は全て外からの知識や意見であって、所詮知っている範囲での選択でしかないのです。
しかし、魂は過去の全ての記憶を持っています、故に範囲が広がり選択肢は多いのです。
私達は、実はいつも「意識」のみを使って、自由で理性的であると信じて利用しています、しかし「魂」を利用できれば、いかなる問題も解決できる可能性があります。
主体性の定義を自分の事を自身の意見で決めるとするならば、魂のみに主体性はあると言えます。
しかし、なかなか難しいのは事実、最終的には自分をいかに信じきれるかです、あなたの問題や課題は全て魂に回答を持っているを信念として持てば最高です。
人間、自分を信じるが難しいのが現実です。


シモーヌ・ヴェイユ
「純粋に愛することは、へだたりへの同意である。自分と、愛するものとのあいだにあるへだたりを何より尊重することである」
スピリチュアルの思考は哲学に似ていると思う。
過去の偉大な哲学者には次元の高い魂が人間界に来て思想を広めたとも言われている、
似ている理由は、ある思想を唱えれば、反思想を唱える人が出てくると言う意味ですが・。
輪廻転生も宗教により解釈は肯定と否定があり、思想的には東洋思想と言える。
2012年のアセンションが日本を中心に起きると言う説もあるが、その日本でさえ宗教思想が広く理解をされているとは言えない。
しかしながら、スピリチュアル的に私見ですが日本に生まれた理由は必ずある、2000年の歴史で世界でも大戦の少なかった国であることは間違いなく、本来は非常に協調的で融合的な国民であると思う。
近代の大戦のイメージが強いが、神仏の融合やキリスト教までも調和し生活をしている、宗教思想が理解されなくても、良いを受入れ活用する平和を愛す大和魂は素晴らしいと思う。


その様な日本に生まれた理由は、多くの人は「容認する愛」「受容れる愛」を課題とする魂の集団ではないかと思ったりもする・・・・、あくまでも私見ですが・・・・・・。
少なくともスピリチュアル系の書籍は、根本的には「愛」がテーマである、容認とかいろいろと段階もあるが、「慈悲」のレベルに近づくことが集団的な日本人としてみれば課題である気がする。

哲学に話を戻すと、近代は人間の主体性と歴史が議論の的だった。
サルトルの実存主義では、人間の自由と主体性を最も重んじている、本質存在よりも事実存在を認め、自分がいかなる存在になるか自分で決める自由こそ主体性である、つまり「何かになる」(本質)を決められるのが人間の自由だなのです。 これに反論するのが構造主義です、私のスピリチュアル感性では構造主義が合致するのですが、また次回・・・・・・。

カテゴリー: 心の癒しを占いに求め東京六本木 パーマリンク

コメントを残す