難解|占い東京


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コラム

シモーヌ・ヴェイユの言葉は美しく難解。でも何回も読むと意思が見える。

「創造は、愛のわざであり、永遠に続くものである。 あらゆる瞬間において、私たちが存在するということは、神の私たちに対する愛である。 だが、神はただ自分自身をしか愛することができない。 私たちに対する神の愛は、私たちを通して自分自身を愛する愛である。
だから、私たちに存在を与える神は、存在しなくてもよいという私たちの同意があればと期待する。
私たちの存在は、ただ神の期待と、存在しなくてもよいという私たちの同意とから成り立っている。 永遠に果てしなく、神は私たちに対して、私たちに与えたこの存在を、乞い求めている。
それを与えたのは、私たちからそれを乞い求めるためである」

「根をもつこと、それはおそらく人間の魂のもっとも重要な欲求であると同時に、もっとも無視されている欲求である。また、もっとも定義のむずかしい欲求のひとつでもある。人間は、過去のある種の予感をいだいている集団に、自然なかたちで参与することで、根をもつ。自然なかたちでの参与とは、場所、出生、職業、人間関係を介しておのずと実現される参与を意味する。人間は複数の根をもつことを欲する。自分が自然なかたちでかかわる複数の環境を介して、道徳的・知的・霊的な生の全体性なるものをうけとりたいと欲するのである」
シモーヌ・ヴェイユ 根をもつこと

「夢からぬけ出すためには、不可能に触れることが必要である。夢の中には、不可能はない。ただ、無能力があるばかりである。
「われらの父、天の父。」ここには、一種のユーモアがある。これは、あなたがたの父なのだ。それならちょっと、あの高いところへとその父をさがしに出かけてみてはどうか。わたしたちは、みみずとまったく同じで、地面を離れることもできないありさままのだ。そして、天の父の方も、降りてこないのならば、どうしてわたしたちのところへこられるのだろうか。神と人間とのあいだの関係として、受肉ほど理解しにくいものはちょっと思いつかない。受肉は、この理解しにいくさをはっきりと表に出させるのだ。受肉は、神の降下が不可能であると考えさせる何よりも具体的なありようである。そうだとすると、どうしてこのことが真理でないわけがあろうか」 重力と恩寵

「自分の救いを望むのは、間違っている。 エゴイスト的だからというのではない。(エゴイストになるのは人間の力でできることではない)。 そうではなく、魂を、存在の充実感に、無条件に存在する善に向けないで、個別的で偶然的な単なる可能性に向けることになるからである」   重力と恩寵

 

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